さて、前回の記事で、人間が本質的に理解出来ていないというものを二つあげた。
ひとつは確率。そしてもう一つはランダムネスだ。
今日はランダムネスの話について書こうと思う。
一般的に、人間の考える”ランダムネス”は、本当のランダムネスと違うところがある。
これも目の錯覚のような話だ。
アメリカで学生たちに、無作為に0と1を10個並べて書いてもらうという実験が行われた。
そこで生まれた10桁の0と1からなる数列の中で、1→0、0→1に変わる回数を「遷移回数」と定義すると、無作為に書いてもらったはずの数列は、本当に無作為に発生させた1と0からなる乱数列よりも”作為的に”遷移回数が多い、という結果が得られた。
アップルは、初代iPodに搭載されていたランダム・シャッフリングの機能が”真のランダム”を採用していたため、頻繁に同じ曲・同じアーティストの曲が選ばれ、多くのユーザーから「ランダムではない」と指摘された。
その結果、スティーブ・ジョブズは2代目iPodの発表時に「よりランダムな感じを出すために、少しランダムではなくした」と言った。
標準的なゲームプレイヤにとって自然に見える擬似乱数の生成法という論文を見つけた。
普通の人にとって乱数に見えやすい、乱数ではないが乱数っぽい何かを作りましたという話だ。
日本語で読めるので読んでみて欲しい。文章の部分はそれほど難しくない。
さて、ここで問題だ。
何人集まれば、その中に誕生日が同じ2人組み(以上)が少なくとも1組ある確率が、50%を超えるでしょう。
この問題を暗算で解ける人はあまりいないだろうから、直感で2秒くらいで答えて欲しい。
例によって広告の下すぐに正解が書いてある。
正解は23人だ。
これは誕生日のパラドックスという有名な問題で、普通に計算可能であるためパラドックスではないが、答えが多くの場合人間の直感と一致しないので、パラドックスという名前がついている。
人間はランダムネスに対して、ランダムネス以上に「偏りの少なさ」を期待してしまう傾向がある。
競馬で言うなら、実態よりもずっと多く当たったり外れたりすると期待しているんだよな。
マークシートの4択テストで、4回やそこら「3」が続き、不安になった経験が誰しもがあるだろう。
そして、多くの人間は実態よりもずっと早く”確率の収束”を望んでしまう。
ギャンブラーはよく言葉を使うけど、私はこの言葉はほぼ濫用に近いと思っている。
競馬は人間にとって自然に見えるように忖度されたランダムではない。
それはガチランダムであり、その結果多くの人は、無意識にイメージされたランダムとのギャップに、意識無意識を問わず洗礼を受けていると思う。
午前中の結果だけで過度に自信を深めたり、自信を失っている人を見ることは多い。
自分のイメージを超える確率の偏りを表現する言葉として、ギャンブラーの中で「流れ」理論が構築されたんだと思う。
スポーツにおいて「流れ」が存在するかどうかは、今なお活発な研究が行われていて、「ホットハンド誤謬」と呼ばれている。
午前中にルメールが2勝したら、午後にも3勝くらいしそうなあれだ。
おそらく、現時点での結論は「バスケットのフリースローにおいては微妙にあるっぽい」みたいな感じだ。
しかし、冷静に考えてギャンブルの前回の良い結果が、次の良い結果に結びつくと考えるのは合理的ではないと思う。
ただ、逆はおおいに有りうる。というのも、ギャンブルは自滅が非常に多い。
多少の確率の(自分にとって良くない)偏りで我を失い、結果としてより多く負けてしまう人は多い。
しかしそれも、真のランダムネスの実態を理解していれば防げる話だ。
自分のランダム観を、実際のランダムネスと近づける訓練が必要だ。
まとめ
・真のランダムは以外とランダムじゃない
・確率は偏るし、収束に必要な回数は多分あなたの直感がイメージする回数よりもずっと多い
・勘違いして勝手に自滅するな